11月12日は、私の手術日でした。
やっと今日、術後5年を迎えることができました。
改めて、すべてのこと&すべての人に、感謝!です。
ありがとうございました。
5年経った今、思っていることを書いてみようと思います。
ガンは、いちおう5年経過すれば大丈夫だと言われていますが、
だからといって、「今日から全く不安がない!!」と、手放しで喜べるものでは
ないんだなぁと思いました。
やっぱりこの病気になった以上は、常に不安があるし、
ちょっとでも体の不調を感じると「もしかして・・・」なんて考えてしまうし、
5年経てば完全に忘れられる、というものじゃないんだと思いました。
(なんだかマイナスなことばかり書きましたけど、私は決して
悲観的になってるわけじゃないですよ~!)
でも・・・
考えてみたら、ガンだけが死ぬ原因にはならないんですよね。
ガン以外の病気で死ぬことだってあるかもしれないし、
交通事故で死ぬことだってあるかもしれない。
誰かがテレビで言ってました。「人間の死亡率は100%だ」と。
死なない人はこの世にいない。人はいつか、必ず死ぬんですよね。
いつか死ぬ運命だってわかっているんだから、それなら私は、
“ガンにおびえて暮らすより、「今」を大切に生きたい!”
そう思っています。
ある詩人のエッセイ本に書かれていた文章が、
私の気持ちにピッタリだったので、それを書いておこうと思います。
(個人のブログとはいえ、勝手に載せると、著作権とか
いろいろマズイと思うので、その詩人の名前は、伏せておきます。)
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父親が死んだ。電話がきて、操縦していた超軽量飛行機が
川に落ちて即死だったと聞いた。
私は、ついにきた、と思った。
いつか飛行機が落ちて死ぬようなことがあるかもしれないと、
趣味で小型飛行機に乗りはじめた時に覚悟したものだ。
(中略)
私は思った。
父は、何か、帳尻が合ったのだろうと。
私は、悲しみというよりも、人生、を感じた。
そして、悲しみは、非常に個人的なものであり、ひとりひとりが
それぞれに解決しなければならないものだと思った。
人の生死に関しては、死は、幸・不幸であらわすものでなく、
それを超えた、もっと静かで深淵で、透明で、中立なものだと思った。
これから先、私も、私の身近な人々も、いつ、どこで、
どんな形で死んでしまうか本当にわからないけど、
私は、私の死を、私のまわりの人に静かに心あたたまるふうに
受けとめられるように生きていきたいと思った。
死を、受け入れられず、悲しまれてばかりでは、きっと困るだろう。
私が死んだ時に、私が願うように、人に思ってもらうのは、
今、現在の私の生き方によるのだと思う。
私が父に対して思ったように、その時の私も、人に思われればと願う。
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「死は、幸・不幸であらわすものでなく」・・・私もそう思っています。
みんな、いつかは死ぬのだから、「幸・不幸」では区切れないと思います。
そして、いつか死んだ時、「会えてよかった」「また会おうね」と
思ってもらえる私になりたい、そう願っています。
そうなれるように、「今」を精一杯生きることが、私のやるべきことだと
思っています。
なんだかカタイ話になってしまいましたが・・・
「こういう気持ちでしっかり生きていけよ!自分!」という
自戒の意味もこめて、書いておきたかったのでした。
長々とカタイ話を書いてしまい、すみませんでした。
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